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さつまいもの町と呼ばれる川越。江戸との繋がりが育んだ芋菓子の歴史。

小江戸・川越を歩くと、あちこちで芋の甘い香りに出会います。名物として親しまれる芋菓子には、江戸時代から続く長い歴史が息づいているのをご存じでしょうか。本記事では、川越とさつまいもの深い関わりや、「十三里」と呼ばれた川越いも、老舗和菓子店の物語まで、その魅力を歴史からひもといていきます。

目次

川越が「さつまいもの町」と呼ばれる理由

川越とさつまいもの深い関係

川越は江戸時代からさつまいも栽培が盛んで、「小江戸」と呼ばれる街並みとともに芋文化が育ってきました。砂質の土壌と気候がさつまいも栽培に適していたため、甘みの強い地元産の芋が安定して供給され、食文化に深く根付いたのです。

とくに江戸近郊の農地として発達した川越では、飢饉対策作物としてのさつまいも栽培がいち早く広まり、「川越いも」というブランドで知られるようになりました。現在でも紅はるかやべにまさりといった甘みの強い品種に加え、川越発の新品種「きみまろこ」などを使った菓子づくりが行われ、「さつまいもの町」というイメージを一層強めています。

「十三里」と呼ばれた江戸時代の川越いも

江戸と川越の距離は「十三里」と称され、川越いもは江戸の市場へ大量に運ばれました。この呼び名は流通の目印となり、川越を代表する産物として川越いもが認知されるきっかけにもなりました。

また、「十三里」は「栗(九里)より(四里)うまい」という洒落にもなぞらえられ、江戸の人々にとって川越いもは秋から冬にかけて楽しむ定番の味として親しまれました。荷車や舟運で運ばれた川越いもは焼き芋だけでなく、加工品の原料としても重宝され、のちの芋菓子文化の基礎となるブランド力を築いていきました。

江戸の台所を支えたさつまいも文化

享保の改革や飢饉の時代にも、さつまいもは重要な救荒作物として活躍しました。江戸の台所を支えたこの実用性が、のちに菓子文化として発展する基盤となっていきます。

元禄期から享保期にかけてさつまいもが普及すると、川越周辺では「いざという時に頼れる作物」として、煮物・蒸し芋・干し芋など多彩な食べ方が定着しました。十分な収穫量が確保されるようになると、余剰分を加工して売る動きが生まれ、江戸への出荷とともに、甘味としての芋菓子へと展開していきました。

江戸時代に花開いた川越芋菓子のはじまり

さつまいもの日本到来から川越普及までの流れ

さつまいもは琉球や中国を経由して日本に伝わり、江戸時代に関東一帯へ広まりました。川越では比較的早い時期から栽培が普及し、日常食としてだけでなく加工品としての用途も広がっていきます。

武蔵国・川越一帯では、江戸に近いという地の利に加え、幕府の新田開発政策もあってさつまいも畑が拡大しました。やがて江戸の城下町へ安定供給される「芋どころ」となり、そのなかで保存性と携行性を高めるための加工技術が磨かれていきます。こうして、芋を使った羊羹や饅頭、せんべいといった「川越芋菓子」の原型が形づくられていきました。

保存食からおやつへ:芋が「菓子」になるまで

蒸す・干す・煮るといった保存技術が確立されると、さつまいもは羊羹やせんべい、干菓子へと姿を変えていきました。日持ちする道中菓子として重宝されるうちに、次第に「おやつ」としての位置も占めるようになります。

もともと干し芋や「けんぴ」と呼ばれる硬い干菓子は、長旅や農作業の合間に食べる実用的なエネルギー源でしたが、砂糖や水飴が手に入りやすくなるにつれ、「甘みを楽しむための芋菓子」へと発展しました。江戸時代後期には、芋を裏ごしして寒天やにかわと合わせる技法も普及し、現在まで続く芋羊羹のスタイルが徐々に整えられていきました。

川越の商人文化と蔵造りの町並みが与えた影響

蔵造りの町並みと商人たちの交易活動は、芋菓子を広く流通させる土壌を作り上げました。この歴史的な景観は、観光地として注目される現代においても、芋菓子のブランド力を支える重要な要素になっています。

耐火性と耐久性に優れた蔵造りの店蔵は、江戸との取引で財をなした豪商たちの拠点であり、芋や芋菓子を保管・出荷する倉庫としても機能しました。こうした商人文化が地域の菓子職人との結びつきを生み、「川越いも」を冠した看板商品や贈答用の芋菓子が次々と生まれていきます。現在も、小江戸らしい黒漆喰の蔵造りの建物に芋菓子店が軒を連ね、歴史的な景観そのものが商品の価値を高めています。

「元祖・川越芋菓子」と老舗和菓子店の物語

龜屋をはじめとする老舗の創業ストーリー

龜屋などの老舗は明治以前から続く和菓子店で、川越芋菓子の「元祖」を名乗る存在です。伝統の製法を守りながら、地域の歴史と結びついたブランドを築いてきました。

1783年創業の龜屋は、江戸中期から川越の菓子文化を牽引してきた店で、さつまいもを用いた羊羹や饅頭をいち早く商品化したとされています。ほかにも、1865年創業の亀屋紋蔵(紋蔵庵)や、江戸時代から続く芋加工の老舗などが、代々の職人技を受け継ぎながら「元祖芋菓子」を看板に掲げ、川越の名を全国へ広めてきました。

芋羊羹・芋饅頭・芋せんべい…定番芋菓子が生まれるまで

蒸した芋を練って羊羹にした芋羊羹、皮や生地に芋を使った饅頭、揚げて甘く仕上げる芋けんぴなど、さまざまな定番芋菓子が工夫と需要の中から生まれました。

芋羊羹は、裏ごししたさつまいもに砂糖や水飴を加え、寒天あるいはにかわで固めることで、ほくほく感としっとり感を両立させた川越らしい銘菓となりました。芋饅頭は、小豆餡の代わりに芋餡を包むものや、生地そのものに芋を練り込んだものなどバリエーションが豊富です。さらに、薄くスライスした芋を乾燥・揚げして砂糖を絡めた芋けんぴや芋せんべいは、江戸期の干菓子文化と結びついた商品で、現代の食べ歩きスイーツとしても根強い人気があります。

明治・大正・昭和を通じて受け継がれた製法

手作業中心の工程や素材選びへのこだわりは世代を超えて継承され、現在の観光土産としての評価にもつながっています。たとえば、芋を蒸してから丁寧に裏ごしする工程や、煮詰める際の火加減、乾燥させる時間などは職人の勘と経験に支えられており、機械化が進んだ現代でも要所は手作業が守られています。

戦中・戦後の食糧難や高度経済成長期の大量生産の波に直面しながらも、老舗は地元産の川越いもを中心に使う姿勢を崩さず、明治期の建物をリニューアルした店舗や、併設の「芋菓子歴史館」などを通じて、その製法と物語を次世代へ伝えています。

川越いもが支える芋菓子づくりの舞台裏

川越いもの特徴と主な品種

川越いもは甘みとねっとり感が特徴で、紅はるか系などの品種が好まれています。地元で育てられる品種の特性が菓子加工に適している点が、芋菓子づくりにおいて重要なポイントです。

かつては在来種が中心でしたが、現在はべにまさりや紅はるかといった糖度が高く、加熱するとしっとりとした食感になる品種が主力になっています。これらはペーストにしても繊維感が少なく、羊羹やバウムクーヘン、プリンなど、幅広い菓子への応用が可能です。川越近郊の畑では、こうした菓子向き品種を安定的に供給するための栽培技術が磨かれ、農家と菓子店が連携して品質管理に取り組んでいます。

新品種「きみまろこ」がもたらした変化

近年登場した「きみまろこ」は、白い皮に黄金色の果肉、なめらかな食感が特長で、バウムクーヘンやプリンなど新ジャンルの芋菓子開発を後押ししています。従来の「さつまいも=紅色の皮」というイメージを打ち破るべく、約10年以上の交配・選抜を経て生まれた品種で、加熱するとクリーミーな舌触りと上品な甘みが際立ちます。

その見た目の良さから「映える芋」としても注目されており、黄金色の断面を活かしたスイートポテトやバターサンド、冷菓など、贈答用の高級芋菓子にも使われるようになりました。川越発の新品種として、地域ブランドの新たな柱になりつつあります。

蒸す・干す・揚げる・練る:芋菓子ができるまで

川越が「さつまいもの町」と呼ばれる背景には、江戸時代から続く栽培の歴史と、江戸との距離の近さを活かした流通のしくみがありました。「十三里」という呼び名や、飢饉を支えた救荒作物としての役割が、やがて芋を「保存食」から「おやつ」へと押し上げ、芋羊羹や芋饅頭、芋せんべいといった多彩な芋菓子を生み出していきました。

その流れを受け継いだ龜屋をはじめとする老舗和菓子店は、蔵造りの町並みと結びつきながら、職人の手仕事を守りつつ新しい菓子づくりに挑んできました。近年は「きみまろこ」のような新品種も登場し、伝統的な芋菓子だけでなく、バウムクーヘンやプリン、バターサンドなど現代的なスイーツも次々と生まれています。

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