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夜市の熱気を日本で。台湾料理と「中華料理」の決定的な違いと、必食の小吃

台湾料理と聞くと、小籠包や魯肉飯、夜市のグルメを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。一方で、なんとなく「中華料理の一種」というイメージもありますよね。この記事では、台湾料理が中華料理とどこが違うのか、その背景や味の特徴をわかりやすく整理してご紹介していきます。

目次

「台湾料理」って中華と何が違うの?まずはざっくり整理

台湾料理と中華料理のイメージの違い

台湾料理は、屋台発の小吃(シャオチー)や家庭の味が中心で、親しみやすさが特徴です。台北・台南など街ごとに名物があり、夜市でさっと食べ歩きできるような気取らない料理が多く、1品あたりのポーションも比較的小さめで、「ちょっとずついろいろ」が基本になっています。

一方で中華料理(中国大陸の各地方料理)は、山東・四川・上海・広東など八大菜系に代表されるように、宮廷料理や大人数の宴席を前提とした大皿料理が多く、強い香辛料や油のパンチが効いた料理のイメージが強いです。

台湾料理=福建+日本+東南アジア+移民料理のミックス

台湾料理は、福建・闽南系の味つけと調理法を基礎に、日本統治時代の和食・洋菓子文化の影響、華僑や交易を通じて入ってきた東南アジア由来の香辛料・ハーブ、さらに1949年以降にやってきた上海・広東・四川など大陸からの外省人の料理文化が混ざり合い、独自に進化してきました。

蚵仔煎のように天ぷらの発想が取り込まれた料理、小籠包のように上海点心が台湾で洗練されて世界ブランドになった例、ブッセやレモンケーキのようにフランス菓子が日本経由で定着したスイーツなど、「輸入された料理が台湾風にアレンジされる」ことが繰り返されて、現在の台湾料理が形づくられています。

「甘辛あっさり」で日本人の舌に合う理由

台湾料理は、砂糖と醤油を効かせた甘めの味付けと、油控えめで出汁感のあるスープが多く、日本人にとても馴染みやすいバランスになっています。福建系の甘みと、日本統治期に広まった砂糖・醤油・出汁文化の影響で、魯肉飯や担仔麺のような「甘じょっぱい」「旨味たっぷりだけど重くない」味つけが標準になりました。

四川料理のように唐辛子や花椒をガツンと効かせるよりも、ニンニク・ネギ・香菜で香りを添え、素材(特に海鮮)の持ち味を生かす方向に寄っているため、日本の家庭料理や和風中華との相性も良いとされています。


歴史を知ると味が変わる:台湾料理が生まれた背景

原住民の食文化と福建移民がもたらした味

台湾では、原住民の山菜や海産物の利用と、福建から来た移民の調理法が融合し、海鮮中心の食文化が形成されました。山猪(イノシシ)、野薯(山芋・タロイモ)、山菜などを焼く・煮るといったシンプルな調理法に、福建・闽南系移民が持ち込んだ炒め物や発酵調味料、魚醤・干し魚・干しエビの旨味が合わさることで、「海と山の素材+中華的な火入れ」という台湾らしい土台が整っていきます。

清朝期以降、福建移民は沿岸部の漁場を開拓し、牡蠣・イカ・魚介をふんだんに使う料理を発展させました。これが後の蚵仔煎や蚵仔麺線、海鮮小吃の源流となり、現在でも「台湾料理=海鮮がおいしい」というイメージにつながっています。

日本統治時代が残した意外な「和の味」の記憶

日本統治時代には、米や小麦の普及が進み、揚げ物や洋菓子(ブッセ・レモンケーキ)文化の基盤がつくられ、日本料理の影響が色濃く残りました。天ぷらの技法は牡蠣や野菜に応用され、卵とでんぷんを合わせた衣で揚げ焼きにする蚵仔煎のルーツの一つになったとされています。

また、日本統治期にフランス菓子「ビスキュイ・キュイエール」が台湾に紹介され、「牛力(ブッセ)」として台湾語化しました。戦後、アメリカからの小麦支給も加わり、ふんわりしたブッセやレモンケーキが各地で作られるようになり、台中の一福堂など老舗が土産菓子として全国的に知られる存在となっていきます。

この時代には衛生や市場制度も整備が進み、屋台や飲食店に対する検査・規格のベースができました。これが戦後の夜市文化の発展を支えるインフラとなっています。

国民党政府と上海・広東からの移民が運んだ本格中華

戦後の移民は、小籠包や本格的な牛肉麺などを台湾にもたらし、台湾料理のバリエーションを大きく広げました。1949年の国共内戦に伴う国民党政府の台湾移転により、上海・広東・四川・北方出身の料理人や家庭料理が一気に流入し、台北・台中を中心に「外省人料理」のエリアが形成されます。

上海系の点心や煮込みは小籠包、紅焼牛肉麺へと発展し、広東系のスープ・海鮮蒸し料理は台湾の新鮮な魚介と合わさって、上品な台湾海鮮料理の基盤となりました。

1958年創業の鼎泰豊はもともと油問屋でしたが、上海出身者の小籠包技術をもとに点心店へ転身し、台湾流の繊細な味つけとサービスで世界ブランドへと飛躍しました。こうした「大陸ルーツ+台湾アレンジ」の成功例が、台湾料理全体のイメージ向上にもつながっています。

夜市文化の誕生と「小吃(シャオチー)」というスタイル

夜市は、即席で安価に多品目を楽しめる場を生み出し、「小吃」という軽食文化を定着させました。農業中心だった社会が商工業へシフトする中で、仕事帰りに気軽に立ち寄れる夜の市場が増え、士林・饒河などの大規模夜市が観光スポットとしても成長していきます。

各屋台は魯肉飯、臭豆腐、蚵仔煎、胡椒餅など一品に特化し、回転率と味の安定を徹底することで「安くてうまい」を実現しました。試食や口コミ、激しい価格競争を通じて人気のないメニューや店は淘汰され、残ったものが「台湾を代表する小吃」として定番化していきます。

こうして、小皿・軽食中心で何件もハシゴするスタイルが「台湾らしい食べ方」として根づき、家庭料理やレストラン料理にも小吃文化の影響が及んでいます。


調理法から見る「台湾料理」と「中華料理」の決定的な違い

油っぽい?あっさり?火の入れ方と油の使い方

中華料理は強火の炒めで油を多用することが多い一方、台湾料理は煮込みや蒸しが多く、出汁を重視しながら油は控えめに使う傾向があります。福建・闽南系の調理法自体が比較的あっさりしているうえ、日本統治期以降「胃にもたれにくい料理」が好まれてきたこともあり、魯肉飯や牛肉麺のようなこってり系でも、スープに旨味を引き出して脂を適度に切る工夫がされています。

もちろん屋台の揚げ物や炒め物ではラードやごま油も使われますが、四川・湖南料理のように唐辛子や花椒とセットで「油ごと味わう」スタイルというより、素材にしっかり火を通しつつ香りをまとわせる程度にとどめることが多い点が、大陸の一部地域とは対照的です。

スープと麺文化:担仔麺・牛肉麺と本土中華の麺料理

担仔麺はあっさりしていながら旨み重視、牛肉麺は濃厚でありつつも台湾流にアレンジされており、四川や山東の麺料理とは香辛料の使い方が異なります。台南発祥の担仔麺は、もともと漁師が出漁しない「小月」の副業として担ぎ売りしたのが始まりで、エビや魚骨でとった出汁に豚ひき肉のタレを少しだけのせる、上品で軽い一杯が特徴です。

牛肉麺は四川・北方由来の紅焼牛肉麺を台湾風に発展させたもので、八角や陳皮などの漢方系スパイスは効かせつつも、花椒や唐辛子は控えめにして、日本人にも食べやすいマイルドな辛さに調整している店が多く見られます。

麺線のように、米粉や小麦粉を細く伸ばした麺をとろみスープで煮込むスタイルも台湾独特で、大陸の刀削麺やラーメン系の「コシ重視」とは異なり、「するりと喉を通る食感」に比重が置かれています。

蒸す・煮るが主役、日本の揚げ物文化の影響

台湾料理では、小籠包などの蒸し物や煮込み料理が多く、日本の揚げ物文化も蚵仔煎などに影響を与えています。鼎泰豊に象徴されるように、蒸籠で一口サイズの点心を蒸し上げる技術は台湾で極限まで洗練され、ミシュランの星付き店でも蒸し料理がコースの重要な柱とされています。

一方、蚵仔煎は卵とタピオカ粉の生地に牡蠣や青菜を混ぜ、鉄板で揚げ焼きにして甘酸っぱいソースをかける料理で、衣をまとわせて揚げるという点で和風天ぷらの影響が指摘されています。揚げ物もあくまで「外はカリッ・中はとろり」を楽しむための技法として用いられ、重さよりも食感やソースとの一体感が重視されています。

台湾料理は、「中華料理の一部」というよりも、福建料理をベースに、日本統治時代の和食文化や洋菓子、さらに東南アジアや大陸各地の移民の味が少しずつ重なって生まれた「ミックス料理」と言えます。

原住民の山と海の食材、日本がもたらした揚げ物や菓子文化、戦後に流入した上海・広東・四川などの本格中華。そして、それらが夜市という舞台で「小吃」という形に集約され、選別されてきた結果が、いま私たちが思い浮かべる台湾グルメです。

中華料理が強火と油、大皿の迫力で魅せるとすれば、台湾料理は甘じょっぱくて出汁のきいたあっさり味、小皿と屋台の気軽さで惹きつけてきました。魯肉飯、担仔麺、牛肉麺、蚵仔煎、小籠包、麺線、臭豆腐……どれもルーツはバラバラですが

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